どうも、なすでございます。
旅行記事をあげるのは、まぁ置いといてw
ちょいと時流に乗ってみようかな感もありつつ、いつもの通りになっているひとりごとを。
いつもの通り、長文だわ読みにくいわなので読んでいただける心の広い方に置かれましてはご容赦をm(_ _)m
ちなみに、ミクシ共有記事です。
職場で暴走中偽カツマー(Yahoo!ニュース)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100118-00000002-aera-soci 勝間って人がどんなんだかよく解りませんがね。
自己啓発本ってのは、古今東西いたるところで出て、その都度影響を及ぼしてきた。
結局、カツマーがどうとか言う話ではなく、昔からあった物に対してそれを読んだ人間が反応する仕方が変わってきたって話なんだろ、とか思うわけだが。
今の若いもん…って言いたくないんだけど、最近は自然に出て来るんだよなぁ。。。
・・・・・・っと、思わず愚痴がwww
もとい。
ここ最近の新卒者とかに教えるような立場になってきて多々思うことがあるんだけども、どうも受け取る側の理解力が落ちてきているようだ、と。
教える側が俺ってこともあるんだけど(←教え下手w
それを差し引いても、て言うか、俺じゃなくてもそうだったので感じたわけで。
「昔は~」とか「今は~」とか言う気はないんだけど、最近の教育方法に問題があるんじゃないんだろうかと思う。
考える余地もなく詰め込むだけの学校教育。
全て面倒なことはやってしまうor用意しておいてしまう親の家庭教育。
一方的な1人遊びばかりが増えてきてしまっている遊戯における情操教育。
子供を取り巻く教育環境って奴が、どうにも変わりすぎていると思う。
特に家庭教育と情操教育。
自ら身をもって経験し、自ら工夫し考えると言うこと。
「これは危険だからこうしたらどうか」
「この遊びは飽きたからこうしたらもっと面白くならないか」
安全・安心という過剰包装及び遊びの過剰供給によって思考の自由を奪われ、結果「言われたとおりのことしか出来ない」即ち「言われたこと以外の応用が出来ない」と言う人間を作ってしまったのではなかろうか。
理解するとは「読んで字面を覚える」ことではなく、その内容から「自分に対して如何に活用できるか」と言うところまで出来て初めて理解したと言うことになる。
そして、活用して初めて応用することが出来る。
現状、ここしばらくの新卒者を見てきて、その「理解力」と「応用力」があまりにも不足していると感じられる。
俺が新人だった頃は、環境があまりに違うとは言え、基本「見て覚えろ」だった。
まぁ、最低限のところは教えてくれるし、経験不足による知識のなさについても教えてはくれる。
だが、いつも言われていたこと。
「学校じゃないんだから教えてもらえると言う甘えは捨てろ」
最近の新人にはこれが足りない気がする。
放って置けば教えてくれるものだと芯のところで思っている節がある。
それは今までの環境による。
放って置いても廻りで何とかしてくれた経験があるからだ。
学校教育なんてものに今更期待は出来ない。
だからこそ、家庭教育及び情操教育に対して力を入れなければならない。
でなければ、社会に出ても何にも出来ずにジレンマを抱え自滅していく人間が加速度的に増えていくだけだ。
なお、「そうだよなー」とか思っちゃったあなたは、「最近の若い者は…」と言う紀元前から言われている言葉を言っている危険性がありますw